こだわりメガネの介護士生活 一ヶ月目

 

※人物名は全てフィクションです。

 

0週目

 

面接が終わると、直ぐに内定通知を渡された。

介護業界。

技術職だった僕がまさかこんな所に辿り着くなんて、10年前は想像もつかなかっただろう。

確かに常に人手は不足してそうな業界だし、喋りや経歴を評価されたのは嬉しいが、やっぱりこれには面食らった。個人的に面接はそこまで苦手ではなかったが、「真面目過ぎて君といると堅苦しくなる」という何とも言えない評価を頂き何社かは落とされた過去がある。

嬉しさ半分不安半分の微妙な気持ちだったのが本音だが、施設の条件や雰囲気はそう悪いものではない。帰路の途中、僕はそこに籍を置く覚悟を整えた。

 

1週目

 

新館が出来る為か、3月入社の人間は僕を含め相当な人数が居るらしい。現に通された会議室では既に3人緊張した面持ちで席に座っている。僕も緊張のあまり変な風になりかけだったのだが、その前にご主人よりも服の方がおかしくなった。

チャックが変に噛み合って全然ダウンが脱げないのである。

焦りに焦った僕はもうこの上着を力ずくで破壊しようか迷ったが、結構着回して便利だった服をこんな所で失う訳には行かない。平条を装い僕はゴソゴソと格闘を始めた。30分前に着いたのが功を奏し、結局オリエンテーションが始まる2分前には何とか脱ぐ事に成功した。

何の話だ。

 

その後僕が担当するのは上階のユニットだと命じられ、担当者が来るまでそこで待ってくれと部屋に向かう。パスコードを打ち、扉を開けると教室2コ分程の広さの空間に10人の入居者のお爺さんお婆さんが壁に備え付けられたテレビを眺めていた。緊張しながらその辺をウロウロしてると新人さん?と声をかけられた。

3~40代位の職員さんだろうか、薄桃色の制服を身にまとったお姉様に尋ねられる。話していくとこの人が僕のOJTの担当者でこのユニットのリーダー的存在だというのが分かった。

まずは未経験だし焦ることはないから、とりあえずこの週は入居者の名前を覚えていけば大丈夫との事だったので、一先ず人の良さそうな顔のした可愛いお婆さんに声をかけてみる事にしたが、僕はここで少し迷った。

敬語って使うべきなんだろうか。

当然一般社会だと目上の人には使うに越したことはない。ただ他の職員を見てみると砕けた喋り方を通しているし、ずっとここで生活している人に対して変に敬語を使って壁を作っている感を出すのも良くないかなと思い、僕はあえて自己紹介以外の雑談を砕けた口調で喋ってみる事にした。

どこ出身なんですか?好きな食べ物はなんですか?etc.....

元々人と喋るのも好きだし、声量もかなりデカい体質。更には人から「優しいというか流されているのでは」疑惑を持たれる僕にとってお年寄りと接することは何ら苦では無い。御歳92歳のオコメさんと穏やかに仲良く喋っている内に、やっぱり思った通り向いている仕事なのではと実感出来た。

 

その後、先程のOJTリーダーのコガネさんとドラクエ一行の様に後ろについて行って軽く業務内容の流れを学び、定時になった瞬間にほら終わったから帰るよ〜と促され初日が終わった。身体的にはそこまで辛くなさそうだし、これなら何とかなりそうだ。

早いとこ慣れて皆のお役に立たなくちゃ。

 

 

2週目

 

便の介助は苦手か? 

と先輩達によく尋ねられる。

自分としては元々犬の世話をしているので特に何とも思ってないし、この業界に入る上で覚悟は出来てますという事を伝えると、先輩たちは安堵した様にそっか〜!良かった〜!と繰り返す。やはりそこがこの業界を辞めるトップクラスの理由なのだろう。

手慣れた様子でう○こで汚れたちん○んやケツ穴を洗浄してオムツを変える先輩を見学しながらそう思った。

ただ僕も全く得意という訳では無い。ナースがケツ穴に指を突っ込んで下痢便を只管出させる業務があるのだが、この温泉のようにコポコポ湧きいでるものを見るのは流石に堪えてしまった。

が、入居者さんも好きでこんな事されている訳じゃないはずだ。本当だったら今頃ご家族と幸せに暮らしている所。それが困難になってしまったから先輩たちの様に日常のqolを少しでも上げられる様に手伝うお仕事がある。僕はそこに崇高さを見出したのだ。だからこの程度で心が折れる訳は無かった。

困っている人を救いたい。

綺麗事かもしれないけど、それが僕の原動力だ。

 

 

その職種がどれだけ辛いかは喫煙所を見ればわかる。タバコの本数が多ければ多い程精神的苦痛が大きいのだ。

さて、介護業界はというと...想像通り、めちゃくちゃに本数が多い。僕が所属しているユニットにも凡そ7割方は吸っているので、休憩中は付き合いがてら連れて行かれることが多い。タバコミュニケーションとは陳腐だが、こういう所でも職員同士の愚痴や悩み事などが聞けるいいチャンスだ。今日も一緒に来た男性社員の月島さんは良く僕の面倒を優しく見守ってくれるし、話の引き出しがスポーツからサブカルまでネタが広いので聴いていて楽しい。イメージ的には尊敬しているマリくんとエモさんを足して割ったような感じだろうか。

「メガネくんはなんでこの業界に来たの?まだ若いしやれる事は沢山あったんじゃない?」

「昔父方のじいちゃんが末期がんと認知症になった時、僕や介護士やってた母親が頑張って面倒見てたんですけど...それ以外の人間が何もやらずに酒ばっか飲んでるのが凄く腹が立って...苦しんでるじいちゃんに何も出来なかったのが本当に辛くて、それで」

「そっか、優しいんだね...でもその優しさがアダになる時もあるし、無理せず自分を守って、それでいて貫き通すんだよ」

 

その時の会話はそれで終わった。

僕がこの言葉の本当の意味を知るには、まだ日数が足りないのだろう。

 

 

3週目

 

入居者の方が裂傷を起こした。

左足の皮が焼いたウインナーの様にパックリ割れていて、表皮は疎か中のピンク色の肉まで見えている。明け方暴れた時に転んでそうなったのだと夜勤の方から申し送りを頂いた。

日中、ナースと一緒に処置が行われた。テープで残った皮と皮を繋ぎ止める作業。僕と先輩の大林さんは暴れる体を抑える役割だった。

「痛いよぅ!痛いよぅ!」と暴れ回る入居者の新井さんの上半身を必死で食い止める。その右側を覗き込むと、10平方センチメートル程の血まみれになった足を丁寧に、冷静に消毒するナースさん。日曜日だから今日はドクターを呼ぶ事は出来ない。地道な作業だった。

新井さんの顔はその内涙にまみれて

「殺してくれ!殺してくれ!」

と苦悶の表情に変わっていく。僕はただ「ごめんね、痛いよね。ごめんね...ごめんね...」と力で抑え込むしか出来なかった。(力一杯抑えると今度は腕が内出血に繋がるので力加減が難しい作業だった。)

またしてもこれか。僕は何も出来ないのか。

祖父が死んだ時の無力感に苛まれる。

凡そ1時間弱だろうか、応急処置が終わり血塗れのシーツを交換し汚物室まで持っていった時、男性職員のシマムラ先輩に声をかけられた。

「辛くはなかった?」

「はい...結構こういう事ってあったりするんですか」

「日常茶飯事...とまでは行かないけどそうですね。元々認知症の方たちなので夜は帰りたいと暴れる人たちがこうして怪我をされるパターンが割かしあったりします。」

「そういう物ですか...」

「思っているより御年寄ってすぐ怪我や病気にかかってしまうんです。僕らが出来ることはそう多くは無いですけど、例えば移乗する際だったり日常生活であったり、入居者さんたちが辛い思いを極力させない様に見守っていくのもまた、重要な役割なんですよ」

 

事前に取った資格やテキストで学習してきた事は多々ある。しかし、教本だけで全てが分かる訳では無い。

僕はここで、介護という道の険しさを改めて知る事になった。